「このくらいたいしたことない」
3月に入り、東日本大震災の記事を書いていました。ただ、私は埼玉に住んでいて、特に大きな被害もなく、周囲の人たちも無事でした。こんな私が震災のことを当日に語るのはおこがましい、とずっと思ってきました。
あくまで「自分にとって」
でも、程度の問題だけではないよな、と思うようになりました。たくさんの人が、ちょっとずつ傷ついたり不安になったりしたと思います。このくらいで怖かったなんて言っちゃいけない。それも正しいですが、まだ駆け出しの母親だった私は、それでも不安に思っていたんです。それは私の中では大きな出来事。それぞれがさまざまなことを感じた。それは事実だと思います。
あの頃は不安だった。
当時上の子はまだ2歳。私は自宅から片道1時間半の職場に通っていました。
地震が起き、電車は全てストップ。私は帰れなくなりました。夫の職場が近かったので、幸い迎えには行けました。その日、保育園にいた子どもたちはなんとか全員その日のうちにお迎えに来られたと聞いています。学童では日付の変わるまで来られなかった保護者もいたようです。
自分のこと、家族のこと。当時はその場その場をしのぐことに必死でしたが、今改めて思い出すとなんとなく胸が重くなります。見ないように、考えないようにしていたけど…不安でした。みんな口には出さなかっただけでしょうね。
当たり前のありがたみはわからない
当たり前のものほど、なくさないとわからない。本当にそうだなと思います。私はなにもなくしていないけど、計画停電では「明るさ」がこんなにもほっとするものだと気付かされました。それは電気も、人の気持ちも、同じなのかな…なんて思います。
書こうとしていた内容とは大分違ってしまいましたが…どうしても当日に何か残しておきたくて、こんな記事になりました。お読みいただきありがとうございました。
これからの日々が、皆様にとって明るい存在となりますように。
コメント